【国鉄漆生線の探訪概要】
【路線名】国鉄漆生線
【探訪日】2020年12月吉日
【探訪区間】下鴨生駅(福岡県嘉麻市)→下山田駅(福岡県嘉麻市)
【概要・歴史】
国鉄漆生線は、かつて後藤寺線の下鴨生駅(旧・赤坂駅)と上山田線の下山田駅(廃駅)を結んでいた国鉄の営業路線である。
距離 | 駅名 | 開業年 | 備考 |
---|---|---|---|
0.0 | 赤坂 | 1916年 | |
0.0 | 下鴨生 | 1956年 | 駅名改称 |
1.2 | 鴨生(貨) | 1913年 | |
1.2 | 鴨生 | 1920年 | 旅客扱い開始 |
3.6 | 漆生(貨) | 1913年 | |
3.6 | 漆生 | 1920年 | 旅客扱い開始 |
5.1 | 才田 | 1966年 | |
6.2 | 嘉穂(信) | 1966年 | |
7.9 | 下山田 | 1903年 | 上山田線(廃線)接続 |
距離 | 駅名 | 開業年 | 備考 |
---|---|---|---|
0.0 | 漆生 | 1920年 | 接続したのは1938年 |
1.0 | 稲築(貨) | 1938年 |
【地図】Google Map
【国鉄漆生線の探訪記】
A地点
起点の下鴨生駅は、JR後藤寺線の駅である。漆生線は1番ホームから出発していた。
B地点
後藤寺線との分岐点。廃線跡はここから才田駅跡まで道路になっている。
C地点
鴨生駅跡は、鴨生駅跡公園として整備されていた。
D地点
山田川に架かる昭和橋の欄干に描かれているSLの絵
E地点
漆生駅の手前に数メートルだけ築堤が残る。
E地点
漆生駅跡は、漆生駅跡公園として整備されていた。
E地点
稲築(貨)への分岐地点
F地点
稲築(貨)跡は道路になり遺構はなくなっていた。
G地点
才田駅跡は当時のホームと駅舎が残っていた。
G地点
ホームと待合所の屋根が残っている。
G地点
ホームの横に国鉄マークの書かれた計器運搬箱が落ちていたが、野焼きのせいで中身は燃えて灰になっていた。1969と書いてあるのは1969年ということなのだろうか?
G地点
ここから道路は廃線跡と違うところを通っており、線路と築堤が完璧な状態で残されているが、整備されてないので藪がすごく今回は時間もないのでまたの機会に。
H地点
才田川に架かる第二才田川橋梁
I地点
道路を跨ぐコンクリート橋梁
J地点
用水路を跨ぐコンクリート橋梁
廃止から約35年も経っているのにまだコンクリートは真っ白である。
K地点
嘉穂信号場跡から漆生方面へ少し歩くとレールが残っている。
K地点
嘉穂信号場跡は道路になっており遺構はない。当信号場は上山田線と漆生線の分岐点であったが旅客案内上は下山田駅が分岐駅であった。
L地点
新原トンネル(全長74.4m)は、1898年に造られたがエネルギー革命に伴う石炭産業の衰退により沿線の人口が激減し、上山田線の全線廃止に伴い役目を終えた。
L地点
鉄道敷跡は、新たに道路として整備されることになり、新原トンネルも開削取り壊され道路敷きの一部となった。
M地点
下山田駅跡は道路になり遺構はなくなっていた。漆生線と上山田線の分岐駅は当駅だったが全列車が上山田駅まで乗り入れていた。