旧国鉄山野線(水俣→栗野)

【国鉄山野線の探訪概要】

【路線名】山野線
【探訪日】2020年1月吉日
【探訪区間】水俣駅(熊本県水俣市)→栗野駅(鹿児島県湧水町)
【概要・歴史】
国鉄山野線は、かつての鹿児島本線(現肥薩おれんじ鉄道)の水俣駅と肥薩線の栗野駅を結んでいた国鉄の営業路線である。

距離 駅名 開業年 備考
0.0 水俣 1926年 鹿児島本線(現肥薩おれんじ鉄道)接続
2.6 東水俣 1934年
6.3 深渡瀬 1934年 交換可能駅
14.3 久木野 1934年 交換可能駅
22.6 薩摩布計 1935年 交換可能駅
30.7 西山野 1935年 1945年~1947年休止
32.1 山野〔1〕 1921年 1935年移設
32.3 山野〔2〕 1935年 交換可能駅
34.1 郡山八幡 1965年
37.0 薩摩大口 1921年 交換可能駅
41.8 西菱刈 1938年
44.3 菱刈 1921年 交換可能駅
46.3 前目 1963年
49.1 湯之尾 1921年
51.7 稲葉崎 1959年
55.7 栗野 1903年 肥薩線接続

【地図】Google Map

【国鉄山野線の探訪記】


A地点
起点の水俣駅は、鹿児島本線(現肥薩おれんじ鉄道)の駅である。山野線は3番ホームから出発していた。


B-1地点
山野線専用のレールはここまで残っている。


B-2地点
廃線跡はここから久木野駅の手前まで「日本一長~い運動場」として整備されている。


C地点
湯出川橋梁はガーダ橋のまま舗装され通行できるようになっている。


D地点
鹿児島本線(現肥薩おれんじ鉄道)との分岐点。


E地点
東水俣駅跡は「日本一長~い運動場」の休憩所となっている。建物は当時の物ではない。


E地点
ホームに続いていた階段は一部削られたものの残っている。


F地点
当時のキロポストが残っているが腐っていて何と書いてあったのかは分からない。


G地点
踏切?が残る。


H地点
水俣川橋梁はガーダ橋のまま舗装され通行できるようになっている。


I地点
当時の鉄電用携帯電話機(鉄道電話)が残る。


J地点
6キロポストが残る。


K地点
肥後深川駅跡は休憩所になり脇に当時のホームと切り込み線が残る。


K地点
肥後深川駅のホームが残る。


L地点
深渡瀬駅跡は道路等になっているがわずかに当時のホームが残っていた。


N地点
宝川内川橋梁はガーダ橋のまま舗装され通行できるようになっている。


O地点
勾配標の一部が残る。(写真右下)


P地点
第一久木野川橋梁はガーダ橋のまま舗装され通行できるようになっている。


Q地点
第二久木野川橋梁はガーダ橋のまま舗装され通行できるようになっている。


Q地点
橋梁の先に何かの跡があった。

R地点


S地点
久木野駅跡は当時を再現したホームや車掌車に腕木信号機等が展示されている。
当駅は「急行からくに」も停車する沿線の中核駅の一つであった。


S地点
愛林館の中にある当時の久木野駅スタンプ。愛林館では、棚田カードを配っていた。


T地点
廃線跡はここから県道と分かれ林道(藪になっているので今は使われてないと思われる)となる。


U地点
第三久木野川橋梁(菜ノ木橋梁)


U地点
橋の上には、まだ当時の枕木が残っている。


U地点
18キロポストが残る。


V地点
第一大川隧道 久木野駅側


V地点
山野線廃止後、大川ループ線付近では、九州キノコ研究所がバッテリーカーで山野線のレールを使いシメジを栽培していたようだ(現在は八代市にある会社が管理している)。


W地点
第一大川隧道 薩摩布計駅側


X地点
第二大川隧道 久木野駅側


Y地点
第二大川隧道 薩摩布計駅側


Z地点
下日平隧道 久木野駅側


a地点
下日平隧道 薩摩布計駅側


b地点
日平隧道 久木野駅側


c-1地点
日平隧道 薩摩布計駅側


c-2地点
当時の枕木が残る。


d地点
熊本県道15号線脇に巨大なコンクリート壁があった。


d地点
久木野~薩摩布計間のコンクリート壁の下にある旧国鉄時代の境界杭。


e-1地点
林道を立体交差していた部分の橋台は一部削られている。


e-2地点
久木野隧道 久木野駅側


f-1地点
久木野隧道 薩摩布計駅側


f-2地点
何かの箱の跡。中に何か入っている。


g地点
薩摩布計駅跡にはモニュメントがあり脇に当時のホームが残っている。


g地点
薩摩布計駅のホームが残る。


h地点
山野川を渡るコンクリート橋梁。


i地点
旧県道の布計踏切の踏切制御器が残る。


j地点
堂原隧道 薩摩布計駅側


k地点
堂原隧道 西山野駅側


l-1地点
曲線標が残る。


l-2地点
芝尾隧道 薩摩布計駅側


m-1地点
芝尾隧道 西山野駅側


m-2地点
簡易な境界杭か?


n地点
架空裸線路柱、通称「ハエたたき」(昔の電信柱や電柱のこと)が残る。


o地点
ここにも架空裸線路柱、通称「ハエたたき」(昔の電信柱や電柱のこと)が残る。


o地点
キロポストが残る。


o地点
レールでつくられた


o地点
当時の鉄電用携帯電話機(鉄道電話)が残る。


p地点
西山野駅跡は当時のホームが残っていた。


p地点
ホームの大口側の藪の中にSLの動輪らしき物が放置されていた。モニュメントにでもする計画があったのだろうか?


q地点
牛ノ河川橋りょう(十曽川橋梁)はガーダ橋のまま舗装され通行できるようになっている。


q地点
牛ノ河川橋りょう(十曽川橋梁)の脇に旧国鉄の境界杭が残る。


r地点
山野駅跡は鉄道公園として整備されていた。
当駅は「急行からくに」も停車する沿線の中核駅の一つであった。


r地点
鉄道公園内にある山野駅鉄道記念館。


s地点
牛尾川に架かるSLや客車のモニュメントが付いた山野線牛尾川橋。


t地点
郡山八幡駅跡は道路になっており遺構はない。(薩摩大口方から撮影)


u地点
薩摩大口駅跡は大口ふれあいセンターになっており中に大口歴史民俗鉄道記念資料館がある。又、屋外には車掌車や腕木信号機にポイント等が展示されている。尚、駅裏の貯木場からは間根ヶ平林用軌道が間根ヶ平の県境付近まであった。
当駅は「急行からくに」も停車する沿線の中核駅の一つであった。


u地点
屋外に展示されている車掌車や腕木信号機にポイント等。


u地点
駅裏の貯木場は大口元気こころ館等になっており遺構はない。


v地点
薩摩大口~西菱刈間の境界杭


w地点
薩摩大口~西菱刈間の境界杭


x地点
SLの煤煙による煤焼け。


y地点
西菱刈駅跡は道路になっており遺構はない。


z地点
菱刈駅跡は道路になっており遺構はないがA・コープの駐車場に駅跡を示す碑がある。
当駅は「急行からくに」も停車する沿線の中核駅の一つであった。


AA地点
廃線跡はここから県道と分かれ200m程、自転車・歩行者専用道路となる。


BB地点
前目駅跡は道路になっており遺構はない。


CC地点
廃線跡ここから再び自転車・歩行者専用道路となる。


DD地点
47キロポスト?が残る。


EE地点
山野線時代の電柱。


FF地点
ここから廃線跡は未舗装道路になっている。


GG地点
湯之尾駅跡は当時のホームや車掌車に踏切が、保存・展示されていた。


GG地点
湯之尾駅跡のホームが残る。


HH地点
ここから廃線跡は藪となる。


II地点
境川橋梁の橋台が残る。


JJ地点
架空裸線路柱、通称「ハエたたき」(昔の電信柱や電柱のこと)の基礎部分が残る。


KK地点
架空裸線路柱、通称「ハエたたき」(昔の電信柱や電柱のこと)が残る。


LL地点
稲葉崎駅跡は、歩行者・自転車専用道になっており遺構はない。


LL地点
廃線跡はここから川内川右岸まで「栗野町サイクリングロード」として整備されている。


MM地点
名称不明の川に架かる橋は、ガーダ橋のまま舗装され通行できるようになっている。


NN地点
名称不明の川に架かる橋は、ガーダ橋のまま舗装され通行できるようになっている。


OO地点
用水路に架かる橋は、ガーダ橋のまま舗装され通行できるようになっている。


PP地点
川内川手前で途切れる築堤の上には栗野町サイクリングロードの看板が立っていた。


QQ地点
川内川橋梁は撤去されているが橋脚の基礎部分が残っていた。


RR地点
川内川左岸の築堤に段違いで新旧2本の第一栗野橋梁が残っていた。 (手前側の橋梁は、旧国鉄山野線の物)


RR地点
川内川左岸の築堤に新旧2本の第一栗野橋梁が残っていた。 (手前側の橋台と橋脚は、山野軽便鉄道時代の物)


SS地点
肥薩線との合流地点


TT地点
丸池下川橋梁に山野線専用の橋台が残る。


UU地点
終点の栗野駅は、肥薩線の駅である。山野線は1番ホームから出発していた。


UU地点
栗野駅 1番ホーム


VV地点
昭和63年1月31日に廃線となった山野線廃止に伴い栗野町内(現 湧水町)の線路敷にあった枕木7000本を再利用した、栗野岳への登山道の途中にある展望台へと延びる階段です。左561段、右555段と枕木の数が異なりますが、枕木階段としては日本一。


VV地点
栗野岳パノラマ展望台からは、山野線沿線の栗野町(現 湧水町)や大口盆地が一望できる。

【主要参考文献】
・今尾恵介(編)『新・鉄道廃線跡を歩く5 四国・九州編』JTBパブリッシング(2010年)
・今尾恵介(監)『日本鉄道旅行地図帳12号 九州沖縄』新潮社(2009年)
・国土地理院地図